アイヌ文化の発信拠点となる民族共生象徴空間「ウポポイ」は今月12日にオープンし、入場者数が21日までの10日間で合わせて1万563人に上りました

1朝一から閉店までφ ★2020/07/22(水) 16:13:15.54ID:txIXz4ir9 07月22日 16時02分

胆振の白老町にあるアイヌ文化の発信拠点「ウポポイ」の入場者数は、今月12日のオープンから10日間で1万人を超え、ウポポイの担当者は「感染症対策で予約制をとっている中、まずまずのスタートだ」と話しています。

アイヌ文化の発信拠点となる民族共生象徴空間「ウポポイ」は今月12日にオープンし、入場者数が21日までの10日間で合わせて1万563人に上りました。
平均では休日がおよそ1800人、平日がおよそ1000人で、新型コロナウイルスの感染防止策として行っている入場制限の上限には達しなかったということです。
ウポポイによりますと、オープンして以降、連日天候に恵まれ、アイヌの集落「コタン」を再現したエリアでは見学者の列ができるなど、屋外プログラムの人気が高かったということです。
ウポポイの担当者は「感染症対策で予約制をとっている中、まずまずのスタートだ。新型コロナウイルスの感染状況を見ながらプログラムの見直しも検討していきたい」と話しています。

https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200722/7000023193.html

259不要不急の名無しさん2020/07/22(水) 18:32:39.62ID:rOfnK0+10

津軽のイヨマンテ

青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)などおびただしいアイヌ語地名がある
中には奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある

我々は、東北の地にアイヌが住んでいたのは遠い昔のことと思い込んではいないだろうか

東北アイヌの境遇は、18世紀になると徐々に変化する
藩財政の窮乏化に伴って、アイヌの内地人化、つまり農民化の施策がとられるようになったのである
租税負担者を少しでも増やし、財政の足しにしようというわけだが、もともと自給分程度の畑作を行う者もあった東北アイヌは、以後急速に和人化し、民族的特徴を失っていった

「陸奥国津軽郡中絵図」 津軽半島の村 = アイヌの村

178不要不急の名無しさん2020/07/22(水) 17:15:28.71ID:rOfnK0+10

「アイヌは鎌倉時代に樺太からやってきた侵略者!」
 →→ 嘘はいけません
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1594900295/203

「蝦夷とアイヌは別物!」
 →→ 蝦夷研究で知られる喜田貞吉がエミシはアイヌであると断言しています
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1590147950/652-653