森川宏映天台座主が神前に進み、祭文を奏上

1ブギー ★2020/09/12(土) 04:12:57.61ID:Fnc0i62/9 学問の神様・菅原道真(菅公)を祭神とする京都市上京区の北野天満宮で4日、北野祭が営まれた。室町時代後期の応仁の乱で途絶えて以来約550年ぶりとなる神仏一体の祭礼・北野御霊会(ごりょうえ)を、歴史的な繋がりのある天台宗総本山比叡山延暦寺(滋賀県大津市)と共同で再興。僧侶と神職27人が、本殿で疫病退散と世の平安を祈願した。森川宏映天台座主が神前に進み、祭文を奏上。「仰ぎ願わくは天満大自在天神、聞法随喜の徳を耀かし、暗夜の群生に光を与えたまえ」と力強く読み上げた。

 午前10時過ぎ、三光門の下で神職と僧侶が対面し、小雨の中、傘をさしながら並んで進列。全員が本殿に入った後、森川座主が入殿した。

 神職による修祓や橘重(しげ)十九(とく)宮司の祝詞奏上に続き、森川座主が祭文を奏上。玉串を供え、柏手を打って拝礼した。

 そして、北野御霊会再興の要となる神仏習合の伝統法儀・山門八講(法華八講)を開始。神前に設えた高座に登る講師と読師など延暦寺(山門)の僧侶が、誰もが仏になれることを説いた法華経全八巻の真髄を問答形式で明らかにしていった。

 神前での仏事は、仏典講讃や読経の功徳で神の威光も倍増するという信仰に基づいて中世に発展。神仏習合の法会の場で生み出された教説は、神仏を共に祀る日本人独自の信仰心を育んでいく役割を果たした。神仏分離から150年を経た現代、今回のようにほぼ完全な形での再興は珍しい。天満宮と延暦寺では毎年続ける方向で調整中という。

 北野天満宮では令和9年に迎える25年ごとの式年大祭・1125年半(はん)萬(まん)燈(とう)祭に向けて古儀復興を発願し、昨年には一條天皇の命による勅祭北野祭を復興。さらに本来の形である神仏一体の北野祭に回帰すべく、宗祖伝教大師最澄1200年大遠忌を来年に控えた比叡山延暦寺と共に、山門八講を行う北野御霊会の再興に取り組んでいた。だが今年、コロナが流行。退散祈願のために予定を前倒しし、今年再興した。

 境内には修学旅行生の姿も。本殿前で手を合わせながら、550年ぶりの法会に結縁していた。

 終了後の記者会見で橘宮司は、「人生最高の感動だった」と述懐。「千年続いてきた神仏習合の歴史の方が(分離後より)長い。仏教を信じ、神を尊(たっと)ぶ。これが日本人の心だと思う」と語った。

 明治まで北野天満宮を管轄する別当寺だった縁から天満宮側の立場で出仕した曼殊院門跡(京都市左京区)の藤光賢門主は、「神仏習合の信仰と歴史を改めて強く感じた」と感想。水尾寂芳・延暦寺執行は、「いろいろな災害や災難がある。神仏の前での善根が早期終息に繋がるよう誠心誠意お勤めした」と感慨を述べた。

 寺院だった北野天満宮

 天神信仰発祥の聖地・北野天満宮(北野社)は、天暦元年(947)に創建。左遷先の九州・大宰府で失意のうちに没し、直後に怨霊となって京に甚大な災禍をもたらしたと信じられた菅公の御霊を祭っている。

 菅公は生前、天台座主尊意を仏法の師とするなど比叡山と深い関係を有していた。菅公の怨霊鎮魂に際しては台密の修法がなされ、北野社の初代別当には菅原家出身の高僧で曼殊院門跡の是算が就任。以後、明治維新による神仏分離まで900年にわたり、北野社は延暦寺の末寺となり曼殊院が社務を統括した。

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7不要不急の名無しさん2020/09/12(土) 04:48:30.45ID:zami+Jly0>>4

天満宮ってどっちかというと神社じゃないの?
なんちゃら天神もお賽銭するような。

52不要不急の名無しさん2020/09/12(土) 20:24:35.91ID:huPr/CM10

菅原道真の遺品がたくさん残っているのは道明寺天満宮(大阪)。
一番古い天満宮は防府(山口)。